日伊文化交流協会IROHA芸術会員の紹介
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桐の木と桐たんす

 

桐の原産地は中国とされ、日本では北海道南部以南において植栽され、あるいは自生する。中でも福島県の会津桐、岩手県の南部桐が有名である。
伝統的に神聖な木とみなされ、日本でも嵯峨天皇の頃から天皇の衣類の刺繍や染め抜きに用いられるなど、「菊の御紋」に次ぐ高貴な紋章とされた。
桐は日本国内でとれる木材としては最も軽い。材質が均一であるために狂いが生じにくく、精密な加工に向いている。また湿気を通さない。
このような特性を生かし簞笥や箱などの家具調度類、箏などの楽器類、さらに下駄や神楽面など、古くから高級木材として利用されてきた。
一方、簞笥の登場は寛文年間(1661年-1673年)の大坂といわれ、正徳年間(1711年-1716年)ころから普及したとされる。それまで衣服は竹製の行李、木製の長持や櫃といった箱状の物に収納されてきた。
簞笥の普及とともに桐のたんすも、大都市を中心に発達していった。近代にはいってからも、洋服簞笥が考案されたり仕上げに新技術が開発されるなど、桐タンスは常に和家具の中心的役割を果たしてきた。特に東京の桐タンスは、見本市や地方産業の振興などにより全国に広まった。

東京の職人たち

桐たんす

徳川幕府のおひざ元で大きく発展してきた桐たんす。その江戸(東京)の桐たんすについて、1880年創業の桐たんす店相徳の4代目社長、井上雅史氏に説明して頂いた。
“交通・通信手段が今ほど発達していなかった江戸の頃は、たんすのように軽くてかさばるものなどは都市部に近いところで組み立てた方が、輸送コストが安くすんだんですね。また、消費者のニーズをいち早く製品にフィードバックするという点からも、有利だった。東京、京都、大阪、名古屋など大都市で桐たんすが知られているのは、その為です。
今は逆に、桐材の産地で組み立ててしまう方が一般的です。切り倒された桐は使用する前にしばらく干しておかなければならないのですが。その為には広い場所が必要だし、板に切ったり、組み立てたりするには騒音もでます。ですから、原産地の近くで作った方が現在は合理的なのです。
しかしそうは言っても、仕上げの工程は東京が好まれます。歴史的なノウハウの積み重ねから、仕上げの技術は東京が群を抜いているからです。”

“桐は周囲の環境に敏感に反応し、湿気を内部に入れません。着物に限らず大切なものを保管するのに適しているのです。本、刀、経典、鎧などを収納するものを作ることもあります。日本の風土にあった材質と言えます。”
“桐タンスの制作工程は、おおざっばに分けると5工程に分けられます。1番目はもちろん木を倒すことから始まります。だいたい樹齢30年ぐらいで材木として使えるようになります。またまっすぐのびた木は、それだけ長い板がとれるので良い材木と言えます。倒す時は、幹をいためないよう先に枝を落としてから、ゆっくり倒します。2番目の工程は、〝板にひく〟と言われる作業でどこに何分の板を使うかなど、簞笥の製法にあるきまりごとに従って必要量を確保します。3番目は木どりと言われる工程です。どの板を簞笥のどの部分に使うかを、決めていきます。これには十分な経験が必要で、熟練した職人が行います。それから組み立てられます。これが4番目の工程です。5番目が仕上げ。3番面から5番目までそれぞれ、専門の職人が受け持つことが一般的です。”
“他の職人との連携も大切です。例えば簞笥の引き手を作る職人。これもやはり東京が優れています。でも、非常に多くの種類があり色なども様々でその上、一つの製品につきロットが小さいので、まさに父と子といった小規模な工房で生産されることが多いのです。また引き手にメッキをかける際など廃液がでるため、環境基準が厳しい今日、クリアするには設備投資が必要になる。それには将来の見通しがある程度立っていなければならない。なかなか厳しいですよ。
もう一つの例が簞笥に使う、木の釘を作る職人。めったに脚光を浴びることのない分野ですが、重要な役割を担っています。彼らとのコミュニケーション、そしてお互いに尊重しながら、バランスをとっていくことが必要なのです。”

[写真上]桐たんす店相徳の4代目社長井上雅史氏。当店のHPでは、桐の原産地会津での植栽の様子、桐の原木から簞笥が組み立てられるまでを写真入りで紹介。また桐たんすの特徴を科学的データを交えてわかりやすく説明している。また東京の伝統工芸品の紹介にも力を入れている。

 

 

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