浴衣
浴衣の歴史
ゆかたという名前は、平安時代の湯帷子(ゆかたびら)が原型とされる。この時代、複数の人と入浴する機会があったため、汗取りと裸を隠す目的で使用されたものと思われる。素材は、水に強く水切れの良い麻が使われていたという説がある。
安土桃山時代頃から、湯上りに着て肌の水分を吸い取らせる目的でひろく用いられるようになり、これが江戸時代に入って庶民の愛好する衣類の一種となった。銭湯が盛んになり、木綿の栽培が日本でも成功し、更に天保改革の倹約政策で、庶民が絹を着ることが出来なくなったので、ゆかたが大きく発展した。
江戸の町では毎年仕立て下ろしのゆかたを着て、まだ肌寒い三社祭に出かけて行くのが江戸っ子の粋とされた。その後に続く朝顔市、ほおずき市や各地の花火大会で浴衣の着流し姿を、競い合ったのである。
浴衣はもともと白地の木綿を藍で染抜くのが原則で、柄も大胆なものが多かった。好きな歌舞伎役者の紋所を染めたり、役の上で着ていた柄を染めさせたり、また愛しい人の名前を植物や動物で表現してみたりと、色々と趣向を凝らして夏の暑さを謳歌したのである。
ゆかたの人気に伴い、文様を染める技法も発達し、絹に染めるのと同じ様な細かい文様を木綿に染めることができるようになり、江戸っ子の洒落心を刺激した。
こんにちの浴衣
現代でも、縁日や花火大会では老若男女問わず、浴衣姿を見かけることが多い。また温泉街では旅館で用意されるゆかたを着た温泉客の姿が、一つの風物詩ともなっている。また日本舞踊などのお稽古着としても使われることがある。
歌舞伎役者などが別誂えの反物を染めてひいきへの配りものとすることも多かったが、最近ではこうした風習も徐々に少なくなりつつある。一方角界には、関取が自分の名前の入った浴衣生地をひいき筋や他の相撲部屋に贈るという風習が残っている。もちろん、自分の気に入った柄で、オリジナルな浴衣を仕立てる力士もある。
現代っ子、外国人の関取が増えるにつれそのゆかたの柄も個性豊かになっている。力士や親方のゆかた作りを一手に引き受けるのも、江戸のゆかたを現代に伝える東京の織物、染め物職人たちである。
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